アパレル情報について簡単に説明すると、次のような事があげられます。 彼女たちの合い言葉は、ディスカバージャパンで、旅行のガイドブックを片手に、京都や飛騨高山などの、観光地を歩き回り、パリやロンドンといった、海外にも足を運ぶようになりました。70年代のファッションは、流行の核が一定していなくて、生地の選択の幅も多様化し、ホットパンツ、マキシスカート、フォークロア、レトロ、といったファッションが混在して、ミリタリーウエアなどを巻き込んでの、アウトドアウエアのブーム、がやってきます。1974年から1978年に流行したのが、純国産ファッションのはしり、ニュートラで、ニュートラというのは、ニュートラディショナル、をもとにつくられた言葉で、もともとは、メンズファッションの世界で、もちいていた言葉ですが、これを神戸のアパレルメーカーが製造していた、若い女性向けのファッションを、お嬢様の上品なカジュアルスタイル、としたのが、1975年創刊の女性ファッション誌、JJとされていますが、その前年から、ananが取り上げていました。
イメージターゲットは、横浜の山手にある名門女子大学、フェリス女学院の女子大生たちで、彼女たちがショッピングにいく、元町の老舗商品が、ハマトラファッションの定番となり、今でも健在のアパレルメーカー、フクゾーのポロシャツに巻きスカート、ミハマの靴、アパレル小物の老舗、キタムラのバッグ、といった、横浜オリジナルのアパレルメーカーのブランド商品が、横浜発のニュートラとして、全国に広がっていきました。1980年代の日本は、好景気の影響で、元気な女性たちが活躍した時代でした。自立する強い女性、キャリアウーマンと、おやじギャルのブームをつくりだしたのが、ファッションデザイナーでは、コムデギャルソンの川久保玲と、ワイズの山本耀司で、ここから本格的な日本人デザイナーのブームが到来しました。
東京のデザイナー団体による、東京コレクション、がスタートし、東京は、パリやミラノ、ニューヨークといった、世界のアパレルのトレンド発信地と肩を並べるようになります。デザイナーブームを背景に生まれたのが、DCブランドで、丸井やパルコといった、大型店に直営のショップを構えて、パリコレなどに進出し、現在のブランド直売大型店型ビジネス、の基礎をつくり上げました。インポート物もブームとなり、ボディコンなどの新しいファッションも流行しました。